歌手のMISIAさんが5年連続紅白の紅組大トリをつとめる、という事で話題になっています。
そんなMISIAさんですが、彼女が歌手としてデビューする事になったきっかけは一体なんだったのでしょうか。
彼女の過去を調べてみましたので、一緒に見ていきましょう。
MISIA歌手デビューのきっかけは?
MISIAさんは、1997年春、福岡市で開かれたオーディションでスカウトされ、歌手としてデビューしました。
デビューシングル曲は「包み込むように」、60万枚のセールスをあげました。
デビューアルバム『Mother Father Brother Sister』は、250万枚を超えるセールスを記録しています。
MISIAの少年少女合唱団時代
MISIAさんは、幼少時代に、少年少女合唱団に入って歌を歌っていました。今回はそんなMISIAさんの過去を覗いてみましょう。
「#会いたい!」×#MISIA🍀
— 24時間テレビ【公式】【日本テレビ】 (@24hourTV) August 17, 2022
MISIAが31年ぶりの再会!
故郷の島で歌を教えてくれた恩師!
大親友のEXITも長崎県へ同行し
在籍した合唱団へ!🎼
24時間テレビ本番では
歌の生パフォーマンスも!🎤https://t.co/n8Se7foSCY pic.twitter.com/ElKdn2WFO9
MISIAさんの地元は長崎県津島市厳原町 です。
所属していた合唱団は、『厳原(いづはら)少年合唱団』 です。
※現在は改名して、『厳原(いづはら)ジュニア合唱団』となっています。
https://jh6bwd.web.fc2.com/junior_chorus/index.html
MISIAさんのインスタグラムの投稿です。
常に最前列で歌唱! とコメントされていますよ。笑
小さい頃から、歌う事が大好きだったのがわかります。
MISIAとR&Bとの出会い
地元の合唱団で歌っていたMISIAさんは、テレビで見たミュージカルCMで始めて、大衆賛美歌のゴスペルを聴きました。
その後、大衆讃美歌のゴスペルがずっと気になっており、
後に、映画「天使にラブ・ソングを」に出会います。
これをきっかけに歌を習いたくなったMISIAさんは、歌を本格的に習う為に、
中学3年の頃に福岡に出て、ボイススクールに行きました。
「天使にラブ・ソングを」がMISIAさんのR&Bの始まりとなります。
長崎県対馬市厳原町(MISIAさんの地元)の地図となります。
福岡に行く手段は船のようです。
中3の頃には既に、R&Bの音楽を表現し始めていたようです。
MISIAのR&Bへの思い
MISIAさんは、R&B(リズム&ブルース)になぜ惹かれるのか、という問い対して、インタビューで下記のように答えています。
すごくメロディーと感情を大切にしているように思えるんです。だから自分の感情を表しやすいんですよ。でも、感情に沿って、一人一人が違うアドリブを歌ってるのには最初びっくりしましたね。
西日本新聞より
メロディーと感情を大切にしているように思える。
自分の感情を表現しやすい。
MISIAさんが歌を唄う時はいつも、魂からメッセージを伝えているかのように歌で自分を表現されています。
まさしくこれが、MISIAさんの音楽のルートなんですね。
R&Bという音楽で自分の感情を表していきたいんですけど、日本人として日本語で歌っていきたいってのがあって…。英語ばかりで歌っているとき、感情移入が難しくて、歌ってるだけの状態が嫌になったんです。
西日本新聞より
英語で歌うと感情を入れて歌うのが難しい為、R&Bの音楽を日本語で歌っていきたい、とコメントしています。
日本人ですので、やはり、自分の言語が一番ですね。
ただ歌っているだけの状態が嫌、というMISIAさんですが、それは、実際にMISIAさんが歌っている姿を見ると、
よくわかります。
細い体でものすごい音量を出しているMISIAさんを見ると、たまに、倒れるのではないか、と心配してしまいます。笑
MISIAのスカウト
福岡県立香住丘高校に進学してからは、本格的に、黒人のボイストレーナーに歌を習っていました。
歌手になるため、自ら、オーデションに応募したり、レコード会社に書類を送ったり、と意欲的に動いていたようです。
あるオーデションで歌った歌が、与田 春生 さんの目に止まり、声をかけられてデビューに至りました。
与田:当時は、まあ今もそうですけど、歌が上手いというよりも、ルックス重視の子ばっかり出てくるんですが、なんか1人だけ「えっ? この子何?」みたいな子が出て来て、パッと歌ったら、滅茶苦茶歌が良かったんです。今までこういうタイプの子はいなかったし、ちょっとトライしてみたいなと思って、それで本人に声をかけて、その、プロデューサーの方に「この子、僕が担当して良い?」と言ったら「いいよいいよ、どんどんやって」と。要するに周りの人たちはもう全然目もくれないんですよ。
Muricman インタビューより
与田:はい。彼女に対して「君の歌はダメだ」って、すごく辛辣なことを言う人もいたんですよ。僕は「こんなすごい歌、聴いたことない」と思っていたので、「なんでだろう?」と思って。それで僕は彼女に「そんなことないよ、すごく良かったと思うから一緒にやろうよ」と誘ったんですよね。でも、BMGに戻って、会社の中で「僕がやろうと思っている新人がいるんだけど、みんな見て」って、宣伝とか営業とかがいたときに、制作フロアにあったテレビで、オーディションのときに歌っていたビデオをかけたんですよ。そのビデオを見ながら「やっぱりすごいな」と思って、「これ良いでしょ?」ってパッと振り返ったら、誰もいなかったんですよね(笑)。
Muricman インタビューより
上記からわかるように、MISIAさんの歌声を発掘した与田さんですが、
当時、MISIAさんのさんの実力を共感してくれる人は少なかったようです。
現在のMISIAさんの成功を考えると、当時のMISIAさんの歌を否定した人がいたなんて、考えられませんね。
やはり、「縁」や「運」というのも実力のうち、であることを思い知らされます。
このように、与田さんによってスカウトされたMISIAさんは、無事デビューを果たし、現在の地位を築くほどの
実力歌手となっています。
MISIAのプロフィール
- 歌手名 : MISIA
- 本名 : 伊藤 美咲(いとう みさき)
- 生年月日 : 1978年7月7日
- 出身地 : 長崎県津島市
- 血液型 : O型
- 職業 : 歌手、シンガーソングライター
- 担当楽器 : ボーカル、ピアノ、ギター、フルート、トランペット
- 所属事務所: Rhythmedia
家族構成は、両親、兄、姉の5人家族 です。
両親、兄は医者、姉は歯医者 です。
上記の写真は、MISIAさんのお母様である伊藤瑞子さん です。
https://fujinkoron.jp/articles/-/5582
MISIAさんは、2018年「第3回 澄和Futurist賞」を受賞しています。
澄和Futurist賞とは、
「環境保護」「社会貢献」「非戦・平和関連」など、市民目線で豊かな未来へとつながる活動に取り組んだ個人や団体に贈られる賞 です。
まとめ
MISIAさんが歌手デビューしたのは、オーデションでのスカウトがきっかけ、でした。
幼いころから合唱団に入り、中学の頃にはR&Bの歌を習い始める、といった歌への情熱は、
かなり早い時期から持っていたようです。
今後も多くの人を感動させる歌を唄い続けていって頂きたいと思います。
MISIAさん、応援しています!